貿易戦争:総体的な変化

経験豊かな名将の多くが言っている様に、熟考した戦略であったとしても、状況に多少とも適応することなしに、敵との初戦を戦い抜くことさえ難しい。実質的な被害、敵の予期せぬ戦術、戦況の長期化、そして一変する状況背景は全て、戦争における典型的な側面である。その意味では「貿易」戦争も、こうした側面の多くを共有している。

現状、株式市場の参加者は長期戦に備えており、貿易戦争に伴って発生する予期不能な展開に関連するイベント・リスクへの警戒感を、一段と強めている。開戦と同時に発動された一時的な関税率は現状、当初発表を上回る水準で恒久化する可能性が高くなっている。敵対国はそれぞれ、長期的な影響を伴う形で、輸入計画の変更に至っている。企業のサプライチェーンには混乱が生じており、貿易戦争勃発後の長期的なリスク認識が企業経営者の心理に刻まれ、サプライチェーンの多様化を通じてこのリスクを管理する必要があることから、企業のサプライチェーンが貿易戦争勃発前の状態に戻ることはあり得ない。関税は貿易行為に対する税金であり、これを支払うのが誰であったとしても、貿易は悪影響を受ける。従って世界貿易は失速しているし、それに伴って世界経済も失速している。企業にとっての課題は、既にかなり低い水準となっている金利ではなく貿易戦争であるため、金融政策を介しての貿易戦争の影響緩和は充分とは言えない。そして、貿易戦争が休戦状態となったとしても、例えば欧州情勢など、その他の課題が台頭する可能性もある。

I. 損害評価

株式vs経済   中国の方が米国よりも打撃を受けている一方、両国の経済に比べて、貿易戦争は株式市場により大きな打撃を与える結果になっている。株式市場に大きな負荷が及んでいるのは、サプライチェーンの混乱に関連する関税とコストの一部が企業の利益率低下によって吸収されることから、米国経済への影響が成長減速に集中したものとなっていることが指摘できる。ただ、現状では、これが景気後退に至る可能性は低いと考えられる。

インターネットを背景とした価格透明性の時代であることから、関税とサプライチェーンの混乱のコストのほとんどは、企業がその吸収を甘受する状況となっている。価格透明性により比較購買が容易となっており、消費者はこれを積極的に行っている。企業は価格決定力を喪失したのであり、その多くは現状、市場シェアや利益率の維持を優先課題としている。製品価格の引き上げは、ほぼ確実に、市場シェアを低下させることになる。従って、企業は利益率を低下させることになり、貿易戦争の激化が株価評価に及ぼす影響は大きなものとなる。

反対に、米国のGDPを考えると、その主要部分は個人消費で構成されている。そして、仕事が現在あり、将来的にもその仕事を維持できる自信がある限り、個人消費は維持されると考えられる。企業が市場シェアの維持を目的に生産を続けていることから、現在まで、米国の雇用市場は貿易戦争の影響をほとんど受けていない。失業率は4%を大幅に下回っており、個人消費は活発なのである。

但し、米国の実質GDPには、企業の設備投資減速による影響も見られている。実質GDPの投資部門では、企業の長期的な設備投資計画に、遅延や無期限の延期が見られているのである。GDP全体に対する投資部門の影響は比較的小さい。但し、景気後退に突入する可能性が低いとはいえ、米国経済は明確な失速を見せている。

中国の経済は米国よりも輸出に大きく依存しているため、状況はやや異なる。中国の米国への輸出は減少している。但し、中国は米国以外への輸出を拡大させることに成功している。結果、輸出は全体として大きな変化を見せてはいない。但し、輸出は拡大していないものの、急激な縮小は回避されている。

中国元   中国元は現在、炭鉱のカナリアとなっている。貿易戦争の拡大で下落し、その逆の事態で上昇するのである。2019年8月のイベントを経て、通貨動向は市場にとって一段と重要さを増す結果になっている。米国が予想外に関税の大幅な新規適用を発表し、貿易関係が一段と悪化する以前の段階では、中国当局は心理的閾値である1米ドルあたり7.0を超えて人民元が下落することを回避していた。貿易戦争の停戦状況を米国が唐突に終了する前の段階では、人民元が米ドルに対して7.0(CNY / USD 6.9または6.8)を上回って推移している限り、米国は和解に応じるであろうというのが一般的な見解となっていたのである。実際、米国財務長官が上海で生産的な一連の議論があったことを明らかにし、協議は米国で継続する予定であることを表明した直後となる8月、米国が貿易戦争を一段とエスカレートさせたことは、市場を驚愕させた。株式は急落し、為替市場ではCNY / USD 7.05に、その後7.10、そして7.15へという動きとなったのである。

通貨の動向については、2つの解釈が可能となっている。米国財務省は、中国の為替操作を指摘している。市場アナリストの多くは一方で、貿易戦争の激化が中国の輸出に打撃となるのは当然であり、投資資金については中国離れが促されることから、為替市場では中国通貨の価値に下落圧力が働くとする見方を示している。この議論を決着させるには、中国の外貨準備高と米国債の保有残高のデータが最も有効になる。自国通貨の下落を回避するには通常、保有している外貨準備を売り、同時に自国通貨を買い支えることになる。外貨準備の残高統計は通常、数カ月遅れで公表される。

自国通貨の上昇を回避する場合、外貨準備への買い入れと同時に、自国通貨売りを行うことになる。2000年代初め、実質GDPが10%超の成長を続けていたころ、中国が自国通貨の急激な上昇を回避する一環として、膨大な外貨準備高を築き上げたのは疑いのないところである。一方で現状は、中国にとって自国通貨の下落が問題となっている。8月分の統計発表に際しては、自国通貨の下落を限定的とするために外貨準備が急減した、または、その変化は些少にとどまり、対米ドルに対する中国元の下落を市場動向に任せたのかを確認する必要がある。もしも、外貨準備が明確に増加していたとしたら、中国が意図的に自国通貨の下落を回避していたとの結論を得ることも可能となる。

最後に、中国元については、米国から課せられた関税コストを相殺する水準まで下落していることを指摘しておく。関税が10%引き上げられた場合、米ドルに対して中国元が10%下落すれば、関税の引き上げ分は完全に相殺されることになる。

II. 金融政策の限界

米国のトランプ大統領は、貿易戦争による経済的損害を補償するため、FRB(連邦準備制度)に対して政策金利の引き下げを積極的に主張しており、ある程度、FRBはその意に則しているものの、将来的な米国経済の動向に関して、政策金利の引き下げが大きな差異をもたらす可能性はほとんどないと考えられる。現状の課題は、3%から2%へ米国経済の実質GDP成長率が減速した背景が(a)2018年上半期に一時的に成長率を押し上げる結果になった2017年12月の減税効果の希薄化であり、(b)貿易戦争によって株価に打撃を与える結果になった関税とサプライチェーンへの影響に関して、企業には不確実性懸念が強いことから、事業投資が減速していることである。米国の短期金利が1%、もしくは0%まで引き下げられたとしても、貿易戦争を背景とする不確実性に阻まれて、企業の事業投資意欲の拡大を促すとは考えにくい。パウエルFRB議長は「1オンス分の予防には1ポンド分の治療の価値」と述べているが、それなら、利下げもありなのだろうか?実際には、貿易戦争の鎮静化が本当の治療である場合において、糖衣錠を予防として服用したとしても効果は見込めない。さらに、貿易戦争はFRBの管轄外の事態でもある。

III. 貿易戦争終結への展望とその他の課題の台頭

貿易戦争の終結は見えない   貿易戦争には波があるものの、主要で、画期的な合意が成立する可能性はほとんどないと考えられる。現在、机上にある合意案は米中、いずれにも受け入れがたいものとなっている。

トランプ大統領が合意した場合、それがどんな合意であったとしても、インターネット・セキュリティと知的財産権に関する厳格な罰則を伴う非常に厳しい条約を求めている共和党の一部から、大統領は厳しく批判される可能性が高い。また、民主党が異なる戦略に打って出るとしても、中国に対して厳しいスタンスで臨むのが大統領選の共通テーマになっている中、合意は難しいと考えられる。トランプ大統領にとっては、中国に対する厳しいスタンスを維持し、合意しないことによって、主要選挙区と鍵になる有権者層における自身の立場を強化し、2020年の再選を有利にするとも考えられる。

中国の習近平国家主席にとっては、米国の暴挙に屈しないことが重要になってくる。習主席に対する内部サポートには強靭なものがあり、一般的に、米国に屈しないことによって生じる苦痛を甘受するスタンスが中国にはある。中国は、5000年の歴史を誇る国である。有史以来の歴史において、中国は偉大な国として、そして世界を主導する国として認知されてきた。過去200年においてそうした認識が低下したものの、それは、その長い歴史の中での一時期に過ぎないし、中国はその強大な勢力に見合った尊敬を取り戻す過程にある。中国が米国よりも経済的に苦しんでいるという事実にのみ焦点を当てることは、リーダーシップを取り戻そうとしている中国という視点から完全に逸脱することになる。習主席は、ギブ・アンド・テイクがあるウィン・ウィンの合意には同意できるものの、米国が貿易戦争での勝利を主張できるような合意に同意することはできないのである。

米国vs欧州連合   本稿での貿易戦争分析のほとんどは、米国と中国に焦点を当てている。一方で今後、米国と欧州連合が貿易戦争の新たな戦線となる可能性もある。 8月のG7で実証されたように、ここまでの米国の政策アプローチに対して、欧州にはかなり強い嫌悪感が存在する。米国と欧州の貿易は深く織り交ぜられた関係で、非常に複雑なものとなっている。貿易戦争がEUに拡大した場合、株式市場にとってはさらなる打撃となり、既に厳しい状況となっているなか、関税引き上げの対象になるとされている自動車産業を背景に、ドイツ経済の不振が一段と悪化する可能性もある。

株価と米国政治   トランプ米大統領は、株式市場の動向を気にかけていると見られる。貿易戦争の拡大が株式市場の急落を引き起こした場合、状況をある程度は緩和させる可能性が高くなる。一方で中国は、大豆などの認知度の高い商品における同国の購買力を背景に、米国による貿易戦争の激化に対する報復措置に関して、客観的なスタンスで臨んできている。中国がこの戦術を最大限に活用してきたため、CNY / USD 7.0(1米ドルに対するオンショア人民元=7.0元)を下回って推移している現状、米国が貿易戦争を一段とエスカレートさせた場合、市場圧力によって自国通貨が一段と下落することを中国は容認すると考えられる。


 

免責事項

本レポートに掲載された例は、いずれも状況を仮定的に解釈したものです。あくまで説明のために使用しています。このレポートに記載されている見解は著者自身のみによるものであり、CME Groupや付属機関の見解を必ずしも表しているものではありません。本レポートおよびその内容を、投資の助言または実際に市場で経験した結果として受け取らないようにしてください。

 

著者について

Bluford “Blu” Putnam(ブルフォード“ブル”パットナム)CMEグループ・マネージング・ディレクター兼チーフ・エコノミスト。中銀の政策分析・投資調査・ポートフォリオ管理を中心に金融業界で35年を超える経験を持つ。2011年5月より現職。世界経済情勢に関する情報発信で中心的な役割を担う。

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