米債の価格動向は、長期にわたり、非常に強い上昇傾向となってきている。一方で直近では、2018年10月上旬に直近の最高水準となる3.23%を記録していた10年債の利回りが、2019年5月末の段階で2.22%まで低下している。この債券価格の上昇が米国景気のリセッション(景気後退期)入りが近いことを示唆しているのかは、非常に重要なテーマの1つとなっている。2019年後半には米国の実質GDPが減速すると予想されるものの、近い将来、米国景気がリセッション入りするとは考えにくい。リセッション懸念ではないとすれば、米債価格の上昇は何によって引き起こされているのだろうか?これに関しては、多くの理由を指摘することが出来る。
債券市場への影響要因を、いくつか挙げてみよう。(1) インフレ率は抑制された経緯を辿っている(2) ドイツや日本の国債による影響(3) 相互損益的な貿易戦争が繰り広げられている一方、米株市場がパニックを起こしていない(4) 利回り曲線が通常では見られない形状になっている
米国のインフレ圧力は、抑制されている。インフレ圧力が継続的に抑制されていることでインフレ期待が低下し、インフレリスクは長期的に低いであろうとする期待が高まることになる。インフレが長期的に抑制されるという期待が高まるにつれて、米国の10年債利回りとコア(食料とエネルギーを除く)インフレ率とのスプレッド(格差)は縮小する。
1990年代中期以来、インフレが抑制されていることに関しては、いくつかの理由がある。第1に、金融機関に対する健全性規制は、厳しい資本要件を通じ、システマチックな金融リスクを軽減することに対する集中度を高めて来た。結果として、ゼロ金利から量的緩和まで、中央銀行の金融政策は金融機関からの消費者や企業に対する融資増加につながらず、経済成長に向けての刺激とはならなかった。そのためインフレ期待は促進されず、資産価格の上昇と市場ボラティリティーの低下が引き起こされるだけとなった。第2に、金利先物が広く使用される以前の1970年代や80年代に比べ、近年の金融機関は金利リスク管理に熟達している。金利リスクの管理が1990年代と2000年代に大きく改善したことは、短期金利のわずかな変化を受けても、金融機関の収益に実質的に意味ある影響が及ぶことはなく、貸し出しなど、その行動様式に変化を及ぼすことがないことを意味する。第3に、インターネットの時代は、価格について驚くほどの透明性をもたらした。スマートフォンを使って、消費者が価格を比較しながらショッピングをすることが可能な時代は、企業の価格決定力を弱体化させる背景となっていて、インフレ圧力が抑制される背景となっている。第4に、足元では米中の貿易戦争が激化していることから停滞気味とはなっているもの、グローバライゼーションや国際貿易の拡大が、数十年にわたって、消費者物価の上昇を抑制してきたことは疑う余地がない。こうした背景から、毎月のインフレ指数が継続的に抑制され、国債券利回りの低下が促進される結果となって来ている。
量的緩和政策の主役と言えば、日銀である。その日銀は2013年以来、JGB(日本国債)の購入額を劇的に増額していて、その利回りをゼロ%に誘導し続けている。2008年-09年の景気後退を経て、ECB(欧州中銀)は当初、資産購入ではなく、金融機関に対する貸し出しを拡大することにより、非常時に流動性を供給する策を選択した。そして2015年、ECBは量的緩和を採用することでこの方針を転換し、結果としてドイツ国債の利回りをJGBの水準まで低下させることになる。
反対に、FRB(米国中銀)は早々に量的緩和を採用し、大規模な資産購入を実施した。そして2018年にFRBはこれを転換し、バランスシートの縮小-量的引き締め(QT)を開始したのである。FRBのバランスシート縮小は、2019年の後半には終了するものと考えられる。さらに、バランスシートを縮小する過程で米債やモーゲージ担保証券の保有を縮小しても、FRBは長期の米債の保有を縮小させないように細心の注意を払ってきた。従って、QTへの政策転換は実質的に、長期債市場に影響を与えるものではなかったのである。
それでも、グローバルな有価証券市場の参加者にとっての現実は、10年物米国債が同様のドイツや日本の国債より2.2%も高い利回りを提供する一方で、米ドルやユーロ、そして日本円の間の為替リスクは比較的控えめな状況となっている。為替リスクが多少あったとしても、米債の利回りはごく自然に、ドイツや日本の国債市場に対して強い競争力を有していることになる。
米中の貿易戦争が、新しい、拡大の段階に突入したことは間違いない。両国は、世界経済の成長を妨げる相互損益の状況を、一段と深刻化させていると思える。こうした流れは直近において、米株の上昇モメンタムを中断させる結果ともなっている。高配当銘柄に対する偏向などのディフェンシブな動きと共に、株式市場には貿易戦争に影響された売り圧力の高まりも観察されている。ただ、少なくとも5月末までの段階で、株式市場にパニック的な売りは見られていない。市場は整然さを維持していて、2018年第4四半期の様に株価が急激に下落する場面は発生していないのである。株式市場は、増大する貿易戦争の影響を最も受けやすい銘柄に対するリスクを適切に再評価する一方、迫った問題として景気後退に焦点を合わせる状況には至っていないと考えられる。2018年第4四半期に20%近く米株が下落したことで、FRBは定型的な政策金利引き上げを停止し、2019年は現状水準を維持する方針に切り替えたものと考えられる。2019年第2四半期の現在まで、株式市場の動向は決して力強いものではなく、FRBに現状維持の再考を強いるものでもないし、政策金利の引き下げを迫るものでもない状況となっている。
米債の利回り曲線は、通常では見られない形状となっている。2018年10月、株式の暴落が始まったころには、短期利回りは長期利回りを下回る水準で、利回り曲線は緩やかなプラスの傾きを示していた。2019年5月末の現在、翌日物のフェデラルファンド(2.40%)や3ヶ月物政府証券、そして5年債(2.03%)まで、短期利回りは長期利回りを上回る水準となっていて、利回り曲線はマイナス(逆の)傾きとなっている。利回りは5年債を最低水準とする形となっていて、10年債以降の利回り曲線は再び、非常に緩やかなプラスの傾きを示す形状となっている。
利回り曲線が平坦、または反転している場合、その後12〜24ヶ月で、株式のボラティリティーが一段と高まり、景気は後退期入りする可能性が高まることが、過去のデータによって示されている。市場参加者は現在、リスクを警告する利回り曲線の形状を無視しているのである。実際、株式市場のボラティリティーがもっと高かったことはある。そして、より短期の時間軸にある利回り曲線がマイナスの形状になっている一方で、より長期がそうなっていない現状は、先々の景気後退を示唆していると言えるのだろうか?
米国と世界の経済成長が減速していることを利回り曲線は示唆しているのだという意見に賛同するとしても、現時点で米国景気に後退期が迫っていると予想するのには無理があると思える。2019年7月末には、同年第2四半期の実質GDPが発表される予定となっているが、この段階で、足元の景気拡大が過去最長に並ぶものになることを指摘しておきたい。そして、現状の失業率は4%を割り込んでもいる。FRBは懸念を有していると考えられるが、多分、近々に政策金利を引き下げるほどではないと考えられる。
本レポートに掲載された例は、いずれも状況を仮定的に解釈したものです。あくまで説明のために使用しています。このレポートに記載されている見解は著者自身のみによるものであり、CME Groupや付属機関の見解を必ずしも表しているものではありません。本レポートおよびその内容を、投資の助言または実際に市場で経験した結果として受け取らないようにしてください。
Bluford “Blu” Putnam(ブルフォード“ブル”パットナム)CMEグループ・マネージング・ディレクター兼チーフ・エコノミスト。中銀の政策分析・投資調査・ポートフォリオ管理を中心に金融業界で35年を超える経験を持つ。2011年5月より現職。世界経済情勢に関する情報発信で中心的な役割を担う。
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